Join me now:

TAKENORI MIYAMOTO / Portfolio

TAKENORI MIYAMOTO メニュー

NOTE

コロナ禍と東京影絵クラブ

プロジェクト頁 → https://takenorimiyamoto.jp/archive/curation/1844.html
私と川村は福島原発事故で被災した南相馬市民との共同プロジェクトをきっかけにコラボレーションをはじめ、これまで国内外で〈聞き書き〉の影絵化に取り組んできた。東京ビエンナーレでは2020年の東京オリンピック開催を見据え、開催テーマとして「多様性と調和」が謳われる一方で、低賃金や長時間労働などに苦しむ外国人技能実習生や、東アジアの国民感情の狭間で悩む留学生、多国籍化が進む東京のムスリムコミュニティなど、東京に生きる外国籍の人々の視線からこの都市の現在と未来を語ってみたいと考えた。
具体的な発表形態として当初の計画したのは、当事者(である外国籍の人々)によるオープンマイクに即興影絵を組み合わせたライブパフォーマンスと、そのベースとなるインタビュー集の出版であった。プランニング時の東京はツーリストがあふれており、五輪後の近未来は政治や宗教ではなく文化によって連帯するコスモポリタンの都市になっていくはずだった。そのためのコミュニティを、国際芸術祭 東京ビエンナーレをプラットフォームに組成したいという想いから、プロジェクト名を〈東京影絵クラブ〉とした。

東京影絵クラブは2019年12月から活動を開始し、2020年6月までに19ヵ国・60人に、それぞれの〈東京〉を語ってもらった(*3)。しかしその間に新型コロナウイルスによるパンデミックが発生。継続的な取材や公演にむけたワークショップ等の実施は困難となり、コミュニティ生成という企画時のコンセプトは崩れてしまった。2020年5月時点で東京ビエンナーレも1年間の開催延期との連絡も入り先行き不透明となったが、6月までに集まったインタビュー音源の書籍化は独自に進めることとし、『東京影絵/Tokyo shadow puppet theater』をクレヴィスより出版した。あわせて森岡督行のサポートを得て、銀座の森岡書店で出版記念展を開催した。

2021年7月に開催となった東京ビエンナーレ2020/2021では、大丸有のエリアディレクションを担当する三菱地所から、有楽町〈国際ビル〉の地下飲食街の一角を展示場所に提供された。国際ビルは1966年竣工のオフィスビルで、地下飲食店街〈クニギワ〉は、貿易会社が多く入る同ビルらしく、タイ、インド、トルコなど多くのエスニック料理店が軒を連ねている。私たちが展示をおこなったB112区画は、ビルの開業当時から入る老舗の天ぷら店だったがコロナ禍のあおりを受け廃業。パンデミック以前であればすぐ埋まるテナントだが、大丸有はこの街区で働くビジネスパーソン相手に商売をしているため、リモートワーク推進と酒類の提供自粛で打撃は深刻、次の店舗はしばらく決まらないだろうとのことだった。
そこで、一時的に間借りすることになった東京影絵クラブの展示プランは、専用小劇場をここに仮設し、東京ビエンナーレ2020/2021の開催期間中、影絵公演や公開インタビュー、座談会などを展開していくというものだった。しかしその後も新規感染者数グラフの波は止むことなく繰り返され、小規模であれB112に観客を入れてのパフォーマンスは感染リクスが高いとして管理会社の許可を得られなくなった。
そのため最終的には、店舗空間に人を入れず、現地で撮影した影絵およびインタビューを、通路側のガラス越しに鑑賞する(=〈もどかしい距離〉を暗示する)ショーウインドーの形態を選択した(*8)。通路に面するガラス壁には書籍『東京影絵』に掲載した19ヵ国・60人のインタビュー2万字を掲出(*9)。あわせて期間中に大手町〈3×3 Lab Future〉で感染防止対策をした上で小規模の影絵公演もおこなったが、そもそも身体的な場と物語の共有を求めてはじまったプロジェクトなので、コロナ禍での仮説的な展示・公演は、東京影絵クラブ活動のひとつのスタディにとどまったというのが、率直な総括である。

しかしそれでも、B112での設営期間もふくめ、地下街〈クニギワ〉の飲食店で働くミャンマーやタイの若者たちが、休憩時間に窓ガラスのテキストを読みにきてくれていた。また、公演での直接的なコミュニケーションは適わなかったものの、おそらく数千の人々が、2ヶ月の間に地下飲食街に出現した奇妙なショーウインドーに足を留めてくれたはずで、今後まさにこの国の際(きわ)、〈クニギワ〉で働く人々と共同制作プロジェクトを組成できたらと考えている。

それにしても、東京で〈聞き書き〉をはじめた頃から、コロナが収束しないまま1年半が経ってしまった。〈東京〉への愛憎を語ってくれた60人の生活も、大きく変わってしまっただろう。彼らは母国に帰ってしまったのか? あるいは五輪後の東京で生きていくのだろうか? 2021年に東京から世界に発した五輪という光芒。その真価は早晩、くっきりとした影となって、私たちの生活に顕れてくるはずだ。これからも東京影絵クラブというフレームから、移りゆくこの都市の景色を注視し、埋もれそうな人々の声を届けていきたい。(宮本武典/2021年9月)