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TAKENORI MIYAMOTO / Portfolio

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NOTE

遠い盆棚

真室川の食をテーマにした展覧会の準備のために、今月中旬、伝承野菜農家 高橋伸一さんの畑を訪ねた。さきの集中豪雨で、あちこちに土砂が積み上がっていたが、伸一さんは落ち込んだ様子もなく、いつも通りの快活さで、畑や作業小屋を案内してくれた。
途中、農道を境にした山の斜面に、色鮮やかな紅色が点々とみえた。そこはこの地区の墓地で、墓石はどれも古く、周囲の樹々や草花と馴染んでいて、そこにどうやら、小さな紅い玉のようなものが飾られているようだ。
「ああ、あれは盆棚ですよ。美大の先生は、こういうものにも興味があるんですね」と伸一さんは面白がって案内してくれた。樹に囲まれた斜面に、30基ほどの墓があり、それぞれに、祖霊を迎えるための賑やかな盆棚が飾られていた。
家ごとにヨシで編んだ祭壇が、暮石の前に設えられ、夏野菜や菓子などの供物が供えてあった。 遠くから見えた紅い点々は、姫林檎であった。盆棚の両端に糸を渡して、そこに音符のように小さな果実がいくつも吊られて風に揺れていた。

「うちのメインのお墓は、ここじゃないんですけど、上のほうに小さなのがあって」と、伸一さんは墓地の縁にそって少し登ると、しゃがみこんで石を撫でた。冬瓜をふたまわりほど大きくした自然石が2つ、寄り添うように立てて置かれていた。
何も刻まれていなかったが、ちゃんと供物が置かれていた。いつ頃からあるのか、故人の名前もわからないそうだが、生まれてすぐ亡くなった赤ん坊の墓だと高橋家に伝わっているそうだ。
姫林檎が揺れる苔むした墓地で、若い農家の分厚い手のひらが愛しそうに石を撫でている。一瞬のことだったが、何故だか僕の心を強く揺さぶった。自分とは縁もゆかりもないことなのに、「ありがたい」という感情が、静かに湧き上がってきた。不思議だった。
山形市へ戻る車中はずっと、鮮やかな姫林檎のゆれる紅と、伸一さんの手の動きが頭から離れなかった。撫でられている冬瓜のような墓石は、僕のイメージの中で、伸一さんが丹精する真室川の伝承野菜「勘次郎胡瓜」にかわっていった。

故人・先祖を敬い、同じ土地で生きる有縁が今でも根付いている地域だからこそ、愛らしい盆棚たちも、伝承野菜の種たちも、家々できちんと受け継がれている。そのことに感動すると同時に、自分がいかにその盆棚的世界から切り離された生き方を送っているかを思い知らされた淋しさが、僕の心象のなかでの姫林檎の紅色を、いっそう鮮やかにしていると思われた。(産経新聞コラム「みちのおくへ」/2018年9月掲載)