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僕が企画監修したアートフェスティバル「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018」で、ガムラン奏者の川村亘平斎さんに、東日本大震災に沿岸部でささやかれている幽霊の話を題材にした新作の影絵芝居を上演してもらった。
重たいテーマだから、緊張して初演直前のリハーサルに立ち会ったのだが、川村さんが大きな白い幕に映し出した幽霊や死者たちの物語は、僕の予想に反して、踊りあり笑いありの影絵芝居に仕上がっていた。
あの世とこの世の境でさまよう死者たちは、どうにかして家族に気づいてもらおうと奮闘したり、現世の快楽に未練タラタラの自分をネタに観客の笑いを誘ったりする。
はじめは不謹慎な気がして、観客の反応が心配になったのだが、バリ島で伝統的なガムラン音楽と影絵(ワヤン・クリ)を習得した川村さんから、今回は同地の伝統に倣って「死者たちを楽しませるための影絵芝居」をつくったと聞き、思わず膝を打った。つまり、影絵芝居を見せる相手は、観客席に座る我々ではなく、震災で亡くなった人たちや、先祖たちなのである。
2晩おこなった影絵芝居は両日とも満員御礼。熱帯雨林の夜を思わせるバンドの生演奏と、影の死者たちの口上に誘われて、幕の内側で(自分も影になって)踊り出す観客も出たり、現世の我々もおおいに盛り上がった。東北での公演だから、宮城や福島で震災を経験し、苦労した人も会場にいたはずだが、怒り出す人はひとりもいなかった。
死後の世界について、私たち日本人の想像力は、そのほとんどが仏教的世界観を基盤にしている。閻魔大王の地獄に、お釈迦さまの極楽と、そこにあまりユーモアの要素は見当たらないが、世界には実に多彩な死者たちの世界がある。 日本では今年3月に公開されたピクサーのアニメーション映画「リメンバー・ミー」も、陽気な死者の国と家族の絆を描いてヒットした。ヒスパニックの人口が増え、白人が少数派になりつつあるアメリカ社会でも、死後の世界は伝統的なキリスト教の想像力から離れ、多様化の道をたどっているのだろう。
家族のあり方も、幸福や正義の基準も、一人ひとり違ってきている現代社会である。価値観の変化に伴って、死者の弔い方や、哀悼の表し方が多様化していくのは、考えてみてば自然なことだ。
東日本大震災から7年。あの世とこの世の境に垂らされた白い幕に、次々と現れては消えていく陽気な死者たちを眺めながら、様々な死の、あるいは死後の語り口を持つことは、これからの東北を生きていく私たちにとって必要なことではないかと思った。上演日は2日間とも、ちょうどお彼岸の夜であった。(産経新聞コラム「みちのおくへ」/2018年10月掲載)