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TAKENORI MIYAMOTO / Portfolio

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NOTE

DIYでつくる芸術祭

2000年代に入ってから、全国各地で大規模な芸術祭が開催されるようになった。横浜や名古屋、札幌といった大都市だけでなく、中山間地域の町や村、小さな島々をつなぎ、広域で開催され、大成功を収めているケースもある。

私自身も、いくつかの芸術祭にスタッフとして携わり、瀬戸内のひなびた漁村や、耕作放棄地が目立つ新潟の里山に、人々がアート作品を鑑賞するため、波のように押し寄せるのを目撃してきた。また、廃校や空き家に展示された現代アートの巨匠たちの作品に、心震えるような感動もおぼえてきた。

新潟で開催された「越後妻有アートトリエンナーレ」から、全国に伝搬した地域密着型芸術祭の衝撃は、現在も各地で芸術祭を生み出し続けている。とりわけ人口減少に苦しむ自治体にとっては、観光促進や地域づくりの施策として実践的だ。国内に数名いるカリスマディレクターたちは、いくつもの自治体をクライアントに抱え、その切実な期待に応えようと、列島各地で八面六臂の活躍をしている。

しかし、先端事例になっている芸術祭の規模はあまりに巨大で、開催費用も数億、自治体の首長が号令一下で… となると、草の根から起こしていくのは難しい。私も、そうして悶々としていた一人だった。

他地域の祝祭を眩しく眺めながら、地元の空きビルや温泉地で手づくりのアートイベントはじめたころ、「適者生存」という言葉に出会った。つまり“虎は世界中で絶滅に瀕しているが、ウサギは世界中で繁栄している”ということだ。山形県立博物館で見た「トウホクノウサギ」の剥製は、野性的な顔つきをしていた。

背伸びして、人口100万をこえる自治体と同じことをやってもしょうがないのだ。小さな町だから可能な、コンパクトで持続可能な芸術祭の新モデルをつくろうと発奮した。山形市くらいの自治体のほうがはるかに多いのだから、ここで面白い状況がつくれれば、参照できる事例が国内にさらに増えるだろう、と。

そのような経緯で、私たちが、2014年から隔年開催する「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」は、在京のコンサルに頼らず、DIYで「山形でどんな芸術祭をつくれるのか」を毎回、試行錯誤するスタイルをとっている。お手本はない。目標入場者数も、経済効果の達成目標もあえて設定しない。では、成果は何かと言えば、それは「人」である。

外部のカリスマディレクターや、世界の巨匠たちに丸投げしていては、地域のリーダーは育たない。ノウハウも蓄積されない。すでに山形にある人・場所・素材のDIY(Do It Yourself)でつくっているからこそ、成功体験は小さくても着実に地域に定着していくのである。

山形ビエンナーレは来年でやっと3回目。県内の関心度はジワジワといったところだが、前回は全国各地からアートによる地域づくりに関心がある人たちが1ヶ月で6万人来場した。七日町シネマ通りにクリエイターの拠点「とんがりビル」が誕生するなど、芸術祭のトライアルから、街に新しい風が吹きはじめている。地域の未来をつくる草の根で、トウホクノウサギの挑戦はこれからも続く。(山形新聞「提言」より転載/2017年11月掲載)