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山形国際ドキュメンタリー映画祭2019
東京はオリッピックへ、大阪は万博へと突き進んでいる今だからこそ、これらの巨大都市の祝祭の対極にあるような、小粒だけれど私たちのリアルを鋭く問うてくるような文化イベントを推したくなる。それが、「山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)」だ。
1989年に第一回が開催され、ドキュメンタリーに特化した国際映画祭としては、質量ともに世界有数の規模に成長。小さな地方都市の、低予算の映画祭なのに、YIDFFは世界の映画作家にとって伝説的なフェスなのだ。
だがそれゆえに、YIDFFは世界の映画制作者のオフ会(軽い言葉で恐縮だが)的な雰囲気もあり、一般の映画ファンには敷居が高かった。しかし、2011年の東日本大震災を境にドキュメンタリー映像への関心が飛躍的に高まり、ここ数回は若い世代のファンも増え、活況を呈している。
3.11の悲劇を機に、私たちは映像の消費者ではなく、記録する/記録される当事者となり、さまざまな悩みや葛藤を経験してきた。また、言うまでもなくSNSやデジタル機材の進化によって、誰しもが映画製作や動画配信ができる時代になり、「映画」の構造変化は止まらない。撮る/撮られる関係、ドキュメンタリーとは何かを、真摯に問い続ける場=YIDFFの重要度は、今後ますます高まっていくだろう。
期間中に上演される作品群、とりわけコンペティション部門作品のレベルは極めて高い。「ドラマチック」とは一線を画しているので、ゆさぶられる覚悟はしておいたほうがいいだろう。グロテスクな紛争や暴力、差別や忘却への闘争、人間の尊厳への問いが、時に厳しく、時に優しく映像に記録されていく。人口22万人の小さな地方都市に、世界を見つめる眼差しが集まってくるのだ。
東京も京都も、ツーリストで溢れているけれど、YIDFF開催期間中の山形市内の路上には、独特のオーラをまとったドキュメンタリストたちが行き交う。鄙びた蕎麦屋の暖簾をくぐれば、幕間に食事するペドロ・コスタや王兵や河瀬直美と普通に出会えるというわけだ。世界各国の監督たちの話を通訳付きで聞くことができる、市民ボランティア企画のトークや交流会もたくさんひらかれており、そのオープンさ親密さ、YIDFFコミュニティの魅力のひとつだ。
せっかく東京から離れた街での映画祭なのだから、2泊3日くらいはスケジュールをあけて、仕事やメールもできる限り遮断して、スクリーンに映し出される「世界」(それはニュースでは見ることができない)を旅するように、浴びるように映画漬けになることをおすすめする。
ルイーズ・ブルジョア「ママン」
(六本木ヒルズ 森タワー恒久設置作品)
東北の小さな芸術大学で教えているのだが、毎年200人以上が受講する「現代美術論」の授業で、この大きなクモのような彫刻「ママン」の画像をスクリーンに映し出し、「この野外彫刻を見たことがある人は? どこにあるかわかりますか?」と問いかけている。
すると、たくさんの手があがって、「六本木ヒルズで見たことがあります!」と答える。地方の学生でもこれだけ見覚えがあるということは、かの彫刻作品はその異様な形状と一見ミスマッチな場所との組みあわせによって、森タワー界隈のランドマーク化しているということだろう。しかし、その学生たちも、「ママン」が表現しているもの、作者であるフランス出身の彫刻家ルイーズ・ブルジョアについてはほとんど知らない。
2010年に98歳で亡くなったルイーズ・ブルジョアは、幼少期の複雑な家族関係や性をめぐるトラウマを突き詰めたような作品を数多く制作した。 六本木ヒルズ森タワーの入り口に設置されている巨大なクモ型のオブジェは「ママン」と名付けられ、見上げると袋状の腹部に大理石の球体をいくつも抱えている。
母親への憧憬を表現した作品と言われているが、「子供を守る優しい母」という単純なストーリーではなく、四方に伸びた脚は檻のようでもあり、(実際、「ママン」のシリーズには檻=家を抱えたバージョンもある)今風の言葉で表現するなら、子供を支配する恐ろしい「毒親」でもあるようだ。
恐ろしい母蜘蛛といえば、日本でも人気のトールキン著『指輪物語』や『ホビットの冒険』にも、闇の森に君臨するクリーチャーがいる。この壮大なファンタジーにおける化け物蜘蛛は、1匹の母を祖に何世代にもわたって森や洞窟に狩場をひろげ、主人公たちに襲いかかるのだが、実はルイーズ・ブルジョアが創造した「ママン」も、東京だけでなくロンドン、ビルバオ、ソウルなどの名だたる現代美術館に恒久設置され、眷属を世界に増やしている。どうして世界のアートシーンは、この一見して美しいとはいえない彼女の「ママン」に惹かれ、支持するのだろうか。
連日のように報道される子供の虐待死やDV、中高年の引きこもりや孤独死、自己承認を求めてさまよう若者たち…… セクシャリティーや家族のあり方も複雑・多様化していくなかで、私たちは誰と・どう生きていけばいいのか、それぞれ悩みながら、昭和的な規範から離れた家族像のリデザインをはじめた。
社会の最小単位である「家族」が足元からゆらぎはじめた時代だからこそ、家族をめぐるトラウマと向き合い、アートに昇華したルイーズ・ブルジョアの彫刻群から、恐ろしくも無視できない存在感が放たれているのであろう。
昨年、ルイーズの生涯を描いた絵本『糸とクモの彫刻家』(エイミー・ノヴェスキー著/イザベル・アルスノー絵/河野万里子訳)が西村書店から出版された。彼女の少女時代と母との絆についても描かれているので、あわせて読んでほしい。 六本木の母蜘蛛に会ったら、怖がらないで、ぜひそのブロンズ製の足をさすって、彼女とその娘・ルーズの物語に耳をすませてほしい。まさに、#MeeToo時代のパブリックアートである。