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2年間にわたって指導を担当してきた大学院生の金洪志君は、東日本大震災のあと東北の被災4県に建立された慰霊碑を調べている。研究テーマは、津波被災地における慰霊碑のデザインから、現代東北における「弔いの造形表現」のありようを分析する、というもの。岩手県大船渡の出身で、多感な中学生の頃に被災を経験した3.11世代だ。
現地調査する慰霊碑の数を500基に設定し、公共交通機関が整っていない被災地の沿岸部を、折りたたみ自転車で移動しながら粘り強く取材を続けた金君。しかし被災地出身の学生にしばしば見られる傾向だが、辛い被災体験があったからこそ、高校から大学4年間まで、震災と正面から向き合おうとはしなかったという。
だから、彼の慰霊碑を訪ねる旅は、学術的な調査ではなく、社会貢献的な活動でもなく、故郷に記された震災の爪痕と向き合おうする個人的なプロジェクトであり、伴走する僕には、それは弔いの旅、巡礼のように見えた。
就職活動でたいへんな苦労をしたり、山あり谷ありではあったが、1年半をかけて、どうにか慰霊碑500基分のデータを採取し、先月、東北芸術工科大学キャンパスで開催した卒業制作展で、成果をまとめた展示と小冊子の配布をおこなった。
慰霊碑500基の造形から見えてきたのは、日本人の死生観は現代社会においても仏教の強い影響下にあることだった。仏教的なモチーフが半分ちかく占めたものの、津波の到達地点や高さを示すデザイン、漂着物や震災遺構を転用したデザイン、住民参加型で制作されたものなど、地域ごとに異なる被災と復興の物語を映す、多種多様な慰霊碑の造形が見られた。
展覧会で、金洪志君の修了制作展示『500 TSUNAMI MONUMENT』は注目を集めた。連日テレビや新聞の取材を受け、他大学の研究者や行政機関からも資料提供の依頼が相次ぎ、反響の大きさに僕も本人も驚いた。
街の風景と暮らしが震災前とは大きく描き変えられていくなかで、震災慰霊碑は、未来への教訓や、共同体の心のよりどころとして、様々な姿形で現在も被災地で建立され、増え続けている。就職するまでと割り切って活動をはじめ金君は、この先も慰霊碑を訪ねる旅を続けることに決めた。
東日本大震災から間もなく8年。
「大きな物語」としての東日本大震災は、多くの日本国民にとって半ば過去になったかもしれないが、あの揺れと津波、放射能の恐怖を体験した人々の震災と復興は終わっていない。金君の慰霊碑プロジェクトのような、個人史や家族史のなかの「小さな物語」となって、現在も東北各地で続いている。そんな切実で粘り強いたくさんの「小さな物語」を土台に、東北の未来はつくられる。
頑張ろう、私たち。頑張ろう東北。
(産経新聞東北版コラム「みちのおくへ」3月掲載)