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上野駅のマタギ 東京の友人に山形での暮らしについて話していたら「そういえば、上野駅マタギがいますよ」と教えてくれた。以来、上野駅を使うときは、わざわざ改札口にまわって、その姿を見上げている。上野駅中央改札の真上にある猪熊弦一郎の壁画「自由」をご存知だろうか。幅20メートルをこえる大画面に、スキー客や温泉、動物や働く女性たちなど素朴な東北イメージがちりばめられていて、その右端にひとりの猟師が描かれている。
東北への玄関口だった頃の上野駅を僕は知らない。壁画右下のプレートには「昭和26年12月製作」とあった。終戦からたった6年後である。初見では、高度成長期に東北への観光振興を目的に設置された作品に見えたので、これは意外であった。
太宰治の短編『美男子と煙草』に、終戦から3年後の上野駅が登場する。太宰が実際に、上野駅地下通路で見た戦災孤児や浮浪者の様子について書いた軽妙なエッセイで、これが昭和23年の作だから、猪熊の壁画「自由」が駅に掲げられた当時は、まだまだ戦争の爪痕が深く残っていただろう。もちろん東京だけでなく東北の暮らしも貧しかったはずだ。
上野駅のマタギは、ひと仕事終えたところなのか、傍らに仕留めたヤマドリや水鳥を投げ置いて身体を横たえ、いつ見ても休息中なのであった。向かいに座るのは若い樵だ。ゲートルを巻いた二人は、静かに語らっているようにも見える。 ここから僕の空想なのだが、無事に戦地から帰ってきた男たちが、「やっと山仕事に打ち込めるな」などと、再び故郷の山で働ける幸福にひたっている。
何しろ、絵のタイトルは「自由」である。暗い時代に東北を、あえて優しく、牧歌的に描いた猪熊のおおらかさ、優しさに敬服する。 渋谷駅の、山手線と井の頭線をつなぐ連絡通路にある岡本太郎の巨大壁画も、東北に縁ある人にとっては特別な作品になってしまった。
第五福竜丸の悲劇を描いた「明日の神話」は、高度成長期まっただなか、あの「太陽の塔」と並行して描かれたという。 猪熊の「自由」とは正反対で、放射能の恐怖と破壊からの再生をエネルギッシュに描いている。福島の原発事故発生からもうすぐ8年。黙示録的に静止する太郎のビジョンの足元で、人波はめまぐるしく行き交い、東京はオリンピックという巨大な祭へと突き進んでいる。
もうすぐ平成が終わる。僕が少年期から40代前半までを過ごした平成日本は、戦災こそなかったが、いくつもの震災を経験した。人口減少や格差社会、孤独死、ネットを飛び交う排他的な言動など、暮らしの内側からジワジワと根深くひろがっている痛みもある。それぞれの生きる時代で、芸術に関わる人間としてどう行動すべきか。上野と渋谷の雑踏で、偉大な先輩たちの仕事が問いかけてくる。(産経新聞東北版コラム「みちのおくへ」2月掲載)