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18年前、美大の大学院を出てすぐバンコクに渡った。卒業式のあとの謝恩会で、指導教員に「タイにまともなアートシーンなんてあるのか?」と聞かれたけど、答えられなかった。同期の何人かは、アムステルダムやデュッセルドルフへの留学が決まっていた。
渡タイして、日本人学校で美術を教えて、週末はおもしろそうなギャラリーやアーティストのコミュニティを探しまわった。富裕層向けのインテリアショップや、観光客相手のスーベニアショップに絵画や工芸品の類はたくさんあったけれど、そういう「商品」に興味はない。現代タイの世相や文化を捉えた新しくてリアルな表現が、きっとどこかにあるはずだと思った。
そうした気骨のあるギャラリーは密集することなくバンコク市内に点在していた。例えば、郊外の何の変哲もないコンドミニアムに。当時のNumthong Galleryはマンションの2部屋を借りて、若手アーティストを紹介するギャラリーと、もう一室を事務所兼フレーム工房にしていた。僕はここで何枚か若手の小作品を購入して、大切に飾っている。
ジーンズからコブラまで売っている、アジア最大の野外マーケット・チャトチャックには、芸術家村のような一角があり、アーティストたちが自作を並べて売っていた。同じ区画においしいコーヒーの屋台があって、居心地がいいので、よく遊びにいった。
大箱のクラブやシネコンがずらりと並ぶ歓楽街RCAは、麻薬の売人やHIV感染者がうろつき、治安の悪さで知られていたが、何故かベンツのショールームの2階に、ドイツで現代美術を学んだ女史が運営する社会派のアートセンターがあった。
伝説のバー&ギャラリー「ABOUT CAFE」は、海鮮を求めて観光客でごったがえす中華街ヤワラートの、バンコク最下層の売春宿が軒を連ねる裏通りにあり、ナウィン・ラワイチャイクンや河原温も個展を開いていて、びっくりした。
どの場所も、東南アジアの喧しく猥雑な日常と、壁一枚を隔てて共存しながら、質の高いアート作品をゆったりと展示していた。隠れ家みたいで魅力的。いつ行っても客はほとんどいなかったけど、オーナーもアーティストたちも平気な様子で、好きなアートを好きなように見せていた。みんなが知り合いだった。
現在のバンコクには、一等地にバンコク現代美術館「MOCA」も誕生し、観光客や若者たちで賑わっているが、なんだか原宿みたいで落ち着かない。きっと「裏通り」や「裏路地」に、次のアートシーンのための濃密な隠れ家が生まれているのだろう。その街に住まないと全容はけっして掴めない、生活圏のアートシーンだ。
とんがりビルも一周年。企画展を手がけているKUGURUの佇まいは、実は東京でも、バンコクのあとに住んだパリでもなく、あのバンコクの、ゆるくて居心地いいアートの隠れ家をイメージしている。街の暮らしに馴染むわけでもなく、かといって閉じているのでもなく、同じ美意識や嗅覚を持つ人たちのための「別空間」をささやかでもひらいておきたい。かつて僕を迎えてくれた路地裏のアートシーンのように。
(「とんがり通信 5号」とんがりビル1周年によせて/2017年4月掲載)