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庄内空港のちかく、山形県酒田市の浜中地区に通っている。安部公房が長編小説『砂の女』(1962年)を書くため、取材に訪れた場所だ。
いま僕は、ファッションデザイナーの飛田正浩さんと、この近代日本文学の傑作小説をモチーフに、実験的な服のシリーズをつくっていて、かつて小説家にインスピレーションを与えた風景や暮らしの痕跡を探そうと、歩き回っているのだ。
酒田の地名は「砂潟」に由来し、飛砂が侵食してできた砂丘が延々とひろがっていた。庄内平野をドライブしていると、広大な水田に島のように民家群がポツポツと浮かぶ風景を見かけるが、「浜中」とはその名のとおり、砂漠のオアシスのような集落だったのだろうか。
現在の浜中地区はというと、家々は砂の侵入を防ぐ板塀に囲まれているものの、海岸線に沿って防砂林が整備され、僕たちが一般的にイメージする「砂丘」的景観は、浜辺のごく限られた範囲にしか残っていない。
砂地を利用したメロンの栽培が盛んにおこなわれており、飛砂との闘いを制し、砂潟を酒田に変えた、先人たちの血の滲む努力が伺える。
東京で過ごした学生時代に、はじめて『砂の女』を読んだとき、僕はこの物語を、寓意を散りばめた恋愛小説だと思っていた。休暇を利用して新種の昆虫を捕まえにきた男が、蟻地獄のような巨大な砂の穴の底にある、一軒の崩れかけた家に囚われ、そこで暮らす女との奇妙な共同生活をはじめる。
自然の脅威、止まらぬ人口流出、農山漁村における共同体の崩壊、都市と地方でひろがる格差、増え続け朽ちていく空き家たち。家とは? 家族とは? 愛とは?
…いま読み返してみると、幻想でも寓話でもなく、半世紀前に書かれたはずの『砂の女』の写実は、2016年現在の僕たちが直面する現実を、鮮烈に描き出してもいた。宿命を受け入れ共同体と生きる女、逃れようともがく男が最後にした選択は、戦後とはまた異なる醒めたリアリズムを帯びて、再読する一人ひとりの胸に迫ってくるはずだ。
先週末も、僕は大きなリュックを背負って、浜中の海岸線を歩いていた。浜に打ち上げられた漂着物から、形のよいロープや流木などを採取し、東京のデザイナーに送って洋服のパターンや装飾にするためだ。
海水浴場は夏休みで賑わっていたが、そこから離れた浜は人気もなく、散乱したプラスチックゴミに混じって乾燥した動物の骨もチラホラとあり、荒涼としていた。
小説のなかで玉虫色の昆虫「ハンミョウ」を探す男と、美しい服をつくるために灼熱の砂の上をさまよい歩く自分が重なっていく。今日的な「砂の女」のイメージを探りながら、僕もまた、すでに彼女に囚われてしまったのかもしれないなと。
(産経新聞コラム「みちのおくへ」/2016年8月掲載)