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家を探している。いや、正確には街を探している。
十代の頃から、奈良、東京、バンコク、パリ、山形と、さまざまな街で暮らしてきた。山形生活はいちばん長くて、今年で12年目。妻と二人、はじめは山形駅ちかくの2DKのマンションからはじまり、それから子供たちが生まれたから、山形市内のなかでも4回引っ越した。気楽な借家住まいなので、家族構成の変化に応じて生活空間を変えてきたのだ。
けれども昨年、人生観を変える出来事があって、賃貸生活はそろそろ卒業して、妻の里である群馬県に安住の我が家をつくることになった。娘たちと一緒に暮らせるあいだに、ささやかでも「家の記憶」を育んでおきたいという想いもあった。
それで、以前から気になっていた桐生市に通いはじめた。僕はお寺や神社がたくさんある奈良で育ったから、郊外の新しい住宅地や賑やかなロードサイドより、歴史が感じられる落ち着いた街がいい。それでいて徒歩圏内にいくつか、美味しい珈琲が飲める店と、劇場や工房など、若いものづくりの感性に触れられる場所があればなおいい。
かつて機織で栄えた桐生は、重要伝統的建造物群保存地区の周辺に、鋸屋根工場や、織り子たちが暮らした瓦屋根の長屋や銭湯が点在する鄙びた街だ。天満宮につながる通りから細い路地に一歩入ると、日本近代を支えてきたものづくりの余韻がそこかしこに息づいている。
群馬県のなかでも、桐生市は人口流出の度合いが高い。相互扶助の精神が根付いていた路地の生活も、自家用車が乗り入れられないという理由で、子育て世代は郊外に染み出すように新居を建てる。結果、古い街では住む人のいない木造家屋が、あちこちで眠るように傾いでいる。新築もいいけれど、この街に住むのなら、空き家を直して暮らしたいと思った。
幸い、勤務している大学の学生が、卒業研究で桐生の街づくりに取り組んでいたので、彼の紹介で市役所の移住促進課と、重伝建活用の担当者につないでもらい、家族4人で住める古民家のリサーチをはじめた。妻も娘たちも嬉しそうだ。これからどんな縁が、どんな暮らしを紡いでいくのか。
先週末も僕たちは桐生にいた。妻と二人で小さな遊園地がある丘に登っていたら、坂の途中で美術館の看板を見つけた。桐生市出身の大川栄二が、約40年にわたって収集した絵画コレクションを収蔵展示する大川美術館。夭折の画家・松本竣介の絵画を多く所蔵することで知られている。
松本竣介は、美大入学を目指していた高校生の頃、僕が夢中になった画家だ。青のような緑のような、その不思議な色をキャンバスの上で再現しようと懸命に真似た。いちばん好きな絵は「画家の像」(宮城県立美術館所蔵)。いつかこの絵みたいに、僕も自分の家族がもてるだろうか、こんな生き方が僕にもできるだろうかと、思っていた。
家族と暮らしていこうと決めた街は、かつて憧れていた松本俊介の傑作「街」がある街だった。人生は不思議だ。
(産経新聞コラム「みちのおくへ」/2016年4月掲載)