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母は街の絵画教室に通っていた。かたわらで幼い僕たち兄弟を遊ばせながら、集中して石膏像を描く母の姿を、近頃よく思い出す。当時の母の年齢に、僕が追いついたからだろうか。
午後の柔らかな光のなか、畳敷きのガランとした部屋に、長机が何台かあって、その上に円錐や四角柱、球体などの石膏像点々とのっている。
幾何学形態のそれらは「描かれる」以外に何の用途も機能もなく、幼い僕には不思議なモノだった。それを、先端を長く細く削ったデッサン用の鉛筆でカリカリと、白い画用紙に慎重に写していく母。
そのときの母もまた、不思議な表情をしていた。僕は画用紙と母の顔を交互に覗き込みながら不安になった。母はあのとき、白い石膏像と画用紙の肌理で、何を捉えようとしていたんだろう。
父も、かつて彫刻家になることを夢見ていた。学生時代は、横浜にあった老彫刻家のアトリエに通い詰めたそうだ。古いアルバムの白黒写真に、大きな裸婦の塑造に挑んでいる若き日の父の姿があった。
建築史家になってからも、父の書斎の研究机には、高さ30cmほどの飴色の木の彫像がふたつ、いつも並んで置かれていた。鉄棒からぶら下がるように、両腕を垂直に上げた力強い男性のトルソと、腰をかがめ、丸みのある肉感的な裸婦像。父が学生時代に彫ったものだった。
資料や図面がうず高く積まれた書斎は、子供たちは立ち入れない父の「聖域」だったが、とりわけトロフィーのように机上に置かれた2つの彫刻の、大人っぽい雰囲気に、幼い僕は憧れた。
しかし、やがて4人の息子たちが独立し、2人の子育ても終わった頃から、2つの彫刻はいつのまにか父の書斎から無くなっていた。母が好きで貼っていた、ムンクやワイエスのポスターも外された。
13年前、パリに留学していたとき、訪ねてきてくれた両親と一緒に、ゆっくり美術館をめぐった。憧れていたブールデルの彫刻、息子たちによく画集を見せていたモネを、身じろぎもせず見つめる白髪の2人を、後ろから眺めながら「ああそうか、僕にとっての美とは、父母の背中越しに見ていた、この風景だったんだな」と思った。
アルベルト・ジャコメッティというスイス人彫刻家をご存知だろうか。枝のように細く削られた人間像は、近づくほど、逆に遠のいていくように感じられる。僕はジャコメッティの彫刻を美しいと思う。そのように思う感性のみなもとでは、母の描く石膏像と、父がつくった2つの彫像と、それらが置かれている光景が、記憶のあわいで輝いている。
遠くにあって、手が届かない美しいもの。そういえば、ジャコメッティもまた、手に平の上にのるような、小さな彫刻の名手であった。
(産経新聞コラム「みちのおくへ」/2015年8月掲載)