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先週金曜日の夕方、研究室で学生たちと定例ゼミをしていたら内線電話が鳴った。「先生の娘さんが迷子になっています。保護したお店から連絡がありました」。慌てて店名と電話番号をメモして電話をかけた。日本語でも英語でもない、聞いたことがない響きの店名で、何の店なのか、どこにあるのか、まったく想像できなかったが、すぐ電話してみると6才の長女はそこの店先で座り込んで泣いていたという。「大学にいるお父さんに会いに行こうと思ったみたいだけど、子供の足じゃここからはとても無理だからねぇ」とご主人。電話口でしゃくりあげている長女と少し話して安心させてから、「すぐ行きます。お店はどちらですか」と聞いた。◯◯町の教会の向かいの寿司屋の隣、とのこと。妻にも電話したが出ない。もう暗くなっていたし、彼女もおそらく必死で探し回っているのだろう。ともかくゼミは中止。学生達には一旦解散してもらって、車に飛び乗った。
見当をつけたあたりで車を停めたところまでは良かったが、そこで店名と電話番号を控えたメモをデスクに置き忘れたことに気がついた。大学事務局にもう一度電話すると、幸いにも取り次いでくれた職員がちゃんとメモしてくれていた。電話番号をカーナビに入力したが登録されていない。店名から業種はまったくわからなかった。教会、寿司屋と、ご主人との会話からヒントはあったが、その界隈にはいくつもあるので絞りきれない。
もう一度ご主人に電話した。さっきと同じ説明で「待ってますから」とすぐ電話を切られそうになったが、「すみません、そちらは何のお店でしょうか」と重ねて質問したら「あぁ、うちはフィリピンの日用品を売っている店ですよ」。…あそこか!やっと見当がついた。あの不思議な店名はタガログ語だったのだ。
ご主人は寒空の下、店先に出てタバコを吸っていた。閉店時間はとっくに過ぎていたのだろう。目があうと苦笑いをして、お店の中に招き入れてくれた。ベソをかいている長女を抱き上げて、何度もお礼を言った。自宅マンションの入口では、妻が顔をくしゃくしゃにして待っていた。彼女も雪のなか幼い次女の手を引いてあちこち必死で探したようだった。
我が家にとってははじめての迷子騒動。夫婦とも動揺して、小さな判断ミスや、すれ違いが重なった。なんだか笑い話のようだが、そのときは、冷静を装いつつも、狼狽えている自分に驚いた。「もしこの娘がどうにかなったら、俺たちは気が狂ってしまうかもしれないな」と思った。そして、4年前の震災で我が子を亡くされた方々の悲しさ、悔しさはいかばかりかと身震いした。
まもなく震災から4年になる。先週、久しぶりに訪ねた石巻市牡鹿半島の浜は、かつての集落の面影もなく、賽の河原のようにのっぺりとしていて、傾いた祠に可愛らしい小さな地蔵さまがぽつねんと供えてあった。みちのおくはまだ、あの世とこの世がねじれて、つながっている。そっと手を合わせて、目を閉じると、脳裏には泣きはらした長女の幼顔が浮かんだ。
(産経新聞コラム「みちのおくへ」/2015年3月掲載)