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TAKENORI MIYAMOTO / Portfolio

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NOTE

タイムトラベル

はじめて入る図書館なら、まっすぐ郷土史の書架にむかう。どの街の図書館にも、在野の郷土史家たちが生涯をかけて調べ上げた、路傍の石仏や四季折々の祭などにまつわる簡素な布張りの本が収まっている。僕の専門は現代美術なのだが、そうした古びた民俗資料に惹かれてしまう。
学校や役場に勤めながら野山や村々に残る民俗世界を、生涯をかけて調べ、それを人生の喜びとした郷土史家たち。その純粋な探求心に敬意を抱きつつ、1冊ずつ丁寧に読み込むというより、陽のあたる閲覧机に何冊も積み上げて、この種の書物に豊富に掲載されている、ざらついたモノクロの記録写真を眺めるのが、彼らと視線を重ねているような心持ちがして好きなのである。

先日、群馬の図書館で、いつものように民俗資料の頁を操っていると、一枚の写真が目に留まった。山肌をひらいた土地に、色や形もまばらな、南瓜大の石がごろごろと敷いてある。解説を読むと、とある山間の集落で撮影された土葬の墓だという。
墓といえば土中に亡骸を埋め、墓標がわりの石一つ、というイメージがあったが、山間地域では山犬などに掘り起こされないよう、一帯に敷き詰める必要があったそうだ。埋葬後に石を置くというのは弔いの表現と思っていたが、実に生々しい理由もあったのだなと、強く印象にのこった。

それからしばらくして、新潟県村上市の山熊田というマタギの里に嫁いだ友人に会いにいった時のこと。風が強い日で、道中の海沿いの道路はテトラポットに激しく打ちつける波しぶきで靄がかっていて、その隙間から漂着が相次いでいるらしい北朝鮮の木造船がチラと見えはしないかと、落ち着かない心持ちでハンドルを握った。
山熊田方面の標識をしたがって内陸に折れ、今度は恐ろしいくらい澄んだ清流に沿って、鮭になったように遡上し、いくつかの集落を通り抜けた奥の奥に、山熊田の里はあった。そこに果たして、あのザラついた写真資料と同じような、土葬の痕跡を見たのである。
村はずれの空き地にやはり南瓜大の、半ば苔むした丸石がごろごろと群れ集まっていた。その周りには、磨き込まれた普通の墓石も並んでいる。

夫が仕留めたという熊の胆を薪ストーブで干しながら彼女が教えてくれたことによると、この集落で火葬がおこなわれるようになったのは、そんなに昔のことではなかった。何しろ日本有数の豪雪地帯である。冬場に人が亡くなっても麓の火葬場に運ぶことは難しかったろう。
埋葬して石を葺き、はじめは塚状にこんもりしているが、やがて身体が土中でゆるやかに分解されるにつれて平坦になっていったのだそうだ。
今も山熊田で日常の風景として続くマタギの狩りも、古代布・シナ織の技も、鮭たちの遡上や木造船の哀しい漂着も、古びた民俗資料の中ではなく、同時代の営みとして生々しく存在している。
高度に情報化した社会で「世界は小さくなった」というが、大熊田での見聞は、多様性という言葉では片付かない、同時並行するいくつもの時代を通り抜けて帰ってきたような不思議な身体感覚があって、以来ずっと僕の中の「現代」は揺らぎ続けている。(産経新聞コラム「みちのおくへ」2018年12月)