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TAKENORI MIYAMOTO / Portfolio

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NOTE

住み継ぐ

昨夜、引越し会社のトラックに家財道具を積み込んで、マンションの鍵を大家に返した。今年の春から、妻の郷里である群馬県の、桐生市にある築55年の平家を、若い建築家とリノベーションしてきた。先月、ようやく母屋の再生工事が終了したので、件のマンションを引き払ったのである。

どこにでもある賃貸マンションなのに、生活の痕跡が消えてガランとすると哀しくなった。数えてみると、これまでの人生で14回の引越しをしてきたのだが、こんな気持ちになったのははじめてだ。
仮の住まいではあったけれど、この部屋で娘たちを育ててきたのである。城址公園のすぐそばで、春はお堀端の桜並木が見事で、次女を肩車して夜桜がつくるトンネルを歩いた。学区の小学校まで少し遠かったので、長女が1年生のときに迷子になり、夫婦で泣きながら探した。駐車場で自転車の特訓をし、乗れるようになってからは3人でお堀をぐるぐると走り回った。
ちょうど娘たちは、精神的な自立へと歩みはじめていて、そんな幼かった日々の父娘の時間が、引越しとともに決定的に過ぎ去ってしまうような気がした。

完成した桐生の家のほうでは、家財道具が運び込まれる前に、現在は埼玉県にお住いの、もとのオーナー夫妻を招待した。奥様のKさんがこの家と土地を相続され、長らく掃除や草刈りなどの管理を丁寧に続けてこられたのだが、お子さんたちも含め、将来的に桐生に戻る予定がなくなったことから、僕たち家族に快く譲ってくださったのだ。
Kさんは、「子供たちの声が響いて、家もすごく喜んでいると思います。壊さないで活かしてくださり、ありがとうございました」と言ってくださった。そして帰りがけに「お渡しするか悩んだのですが…」と一冊の本をくださった。それは、Kさんのご親族の回顧録で、半世紀前にこの家で営まれていた家族の物語が綴られていた。
読んでみて、この家はKさんのお母様が、子供たちのために屋内の導線や、備え付け家具など、設計段階から細やかに思い描いて建てられたこと、そして、そのお母様は若くして亡くなられたことを知った。子供たちを残して去っていったその人の無念を想った。
Kさんにとってこの家は、幻のような母子の時間を留める特別な場所だったのだろう。妻と二人、胸がいっぱいになり「大切に住み継いでいこうね」と頷きあった。

日本の空き家率は上昇の一途である。将来、僕の娘たちではなく別の家族が、この家を住み継ぐことは十分にあり得るし、それはそれで、家にとっては幸せなことだ。僕たち夫婦がそうだったように、娘たちにもそれぞれに縁ある街で、軽やかに生きていってほしいと願っている。
土地・家屋を子々孫々と背負い続けるのではなく、今は縁なき人々に住み継いでもらうことも、現代の家づくりでは設計段階から想定しておくべきだろう。
はじめて自分の家を持った。しかし、「私の家」であるとともに、ここは「私たちの家」という気持ちでいる。Kさんから住み継いで、新しい家族の物語を重ねていけたらと思う。(産経新聞コラム「みちのおくへ」2018年11月掲載)